shigiphoto days

FUJIFILM GFXシリーズで撮った写真をつらつらとご紹介。

写真への受容性が低い事に関するお悩み - 楽しく写真に関わりたい

スナップをしていて、エアポケットの様な空間を無意識に狙っている時がある。何もない空間に(今回なら濡れたアスファルト)最も魅力を感じる。

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FUJIFILM GFX100S, GF50mmF3.5 R LM WR, ƒ/8 1/100 50 mm ISO 800

 

最近写真を撮るに(見るに)あたって常々悩んでいることがあります。自分は写真に対する好みの幅が狭いのではないか?ということ。いや「?」ではなく「!」なんですけどね。写真展や写真集、SNSを見ていて自分の感じるところをザックリまとめると

 

  • 自分の中の何かを写真を使って表現したい系は基本NG
  • 人は写ってないほど良い

 

この2つに集約されます。

改めて強調しますが、写真や撮影者の方を否定するものではありません。受容できていない自分をなんとかしたい、という悩みですね。更に自分が撮影する場合はこの線引きが自分勝手にコロコロ変わります。なので私がスナップする時にも人は写り込む。この一貫性の無さもなんとかしたい。

もちろん写真の感じ方は、持って生まれた特性や育ってきた環境、本人の考え方…いろいろ要素で決まるもので、どう感じるかは鑑賞者に委ねられているとは思います。撮影する場合も然り。が、私の場合上の2点は多くの場合で生理的に受け付けないんですよね。それもちゃんと作られた作品であればあるほど「キッショ!ムリ!」になってしまう。アートや現代写真はこれまでの歴史や政治、ヒューマニズムに成り立っている場合が多いので、その辺の前提知識を押さえた上で鑑賞したりしても…「成り立ちは興味深いがやっぱ無理!」になっちゃう。多分何かのセンサーの感度がめちゃ低いんだろうなぁと思ってます。

 

私は写真が好きなのでどんなものでも楽しく鑑賞したいし、SNSで盛り上がっていたら混じりたいし、一生の趣味として長く関わりたいと思っています。それを自分の特性が阻害しているのではないか?と思っちゃう。

改めて写真趣味って奥が深いですね。一筋縄では一生楽しませないぞ、ということでしょうか。子供の頃はお漬物が全く美味しくないのに、30を越してからめちゃウマ!に変わったのと同じく、写真趣味も時間を掛けて撮って観て、自分の中の写真観が変化するのを楽しむべきなのかもしれません。