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FUJIFILM GFXシリーズで撮った写真をつらつらとご紹介。

GF50mmF3.5を2年使ったので長期レビュー

はじめに

GF50mmF3.5 R LM WRを購入したのは2020年の2月です。既に購入から2年以上経過していますね。その頃のボディはまだGFX50Rでした。当時持っていたレンズはGF63mmだけだったのですが、換算40mmになる画角とGFレンズ最軽量という点に惹かれて購入したことを覚えています。それだけ長く使っているにも関わらず後発のGFX100SやGF80mmに長期レビューの先を越されちゃってるんですよね。

FUJIFILM GFX100S, GF50mm F3.5R WR, ƒ/4 1/40 50 mm ISO 200

FUJIFILM GFX100S, GF50mm F3.5R WR, ƒ/4 1/90 50 mm ISO 200

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GF50mmに対する思い

皆さんも薄々勘づいていらっしゃると思いますが、どうしてもこのレンズはGFXシステムの中で影が薄いんです。重量よろしくちょっと軽く見ている方もいらっしゃるのでは?軽いけど寄れない。1億画素には対応してるけど暗い。GFレンズ最軽量といいつつ335gもあるし薄くもない。最低撮影倍率はたったの0.1倍で寄れない(2回目)w

GFレンズってシステムの位置付けや全般のお値段からして、求められる性能の水準がとても高いですよね。なのでどうしても「高い水準の基本性能」プラスアルファが欲しくなってしまう。GF110mmやGF80mmといったスペシャルなレンズは分かりやすいですが、GF50mmはちょっとその点が分かりにくいのかと思います。そこが可哀想なところなんですよ。あとサイズと価格からどうしても35mmフォーマット用レンズと比較して高いと評されがちです。一見するとGF50mmを超える価格のレンズはCarl ZeissのBatis 2/40 CFぐらい。でも、システムが違うのでそもそも比べること自体が違う気がします。

話がちょっと脱線しました。元に戻しましょう。GF50mmは一定の閾値を超える性能はあるものの、光るところのない、欠点が目立つ、高いだけの悪いレンズなのか?いいえ、全くそんなことはありません。だってレンズの入れ替えが比較的多い私が2年も使っているのですから。なので今回はこの期間に撮影した写真を振り返りながら、GF50mmの良さを再確認していきたいと思います。

FUJIFILM GFX100S, GF50mm F3.5R WR, ƒ/5.6 1/320 50 mm ISO 1000

FUJIFILM GFX100S, GF50mm F3.5R WR, ƒ/5.6 1/80 50 mm ISO 200

FUJIFILM GFX100S, GF50mm F3.5R WR, ƒ/5.6 1/250 50 mm ISO 200

GF50mmの良さ

このレンズも他のGFレンズと同様、解像とボケがしっかり両立しています。「高い水準の基本性能」はしっかりクリアしているということ。1億画素にしっかり耐える解像、そこから生み出されるリアリティ。併せて解像部から上質にボケる事で絵に凄みが出ます。この2つが両立していて、さらに階調もバッチリ。(最近気づいたのですが画質面でこの3拍子が揃うと「おぉ何か凄い」という感覚を得ることが出来るのだなぁ…)

FUJIFILM GFX100S, GF50mm F3.5R WR, ƒ/3.5 1/120 50 mm ISO 200

基本的に何もかもが優等生でサラッとした描写で、それはボケも同じ。ダイナミックなボケ量は無く、グルグルもせず、滲みもせず、前も後ろも均質にボケていきます(ちょっと色収差はあるけど)。それだけ聞くと「ツマンネーヤツだなぁ」と思ってしまいそうですよね。ですがこの一見無味無臭の特性、実は物凄い縁の下の力持ち的存在なのです。余分な付加要素(絶対的なボケ量や特徴的なボケ質)が無いので兎に角被写体とGFXボディの力を引き立てるんですね。写真を見た時に「この対象こんなに綺麗なんだ!」「光ってこんなに綺麗なんだ!」「GFXこんなに階調出るんだ!」という感動がスッと自分の中に落ちて純粋に気持よくなれるのです。

FUJIFILM GFX100S, GF50mm F3.5R WR, ƒ/3.5 1/160 50 mm ISO 3200

FUJIFILM GFX100S, GF50mm F3.5R WR, ƒ/3.5 1/320 50 mm ISO 400

FUJIFILM GFX100S, GF50mm F3.5R WR, ƒ/8 1/1800 50 mm ISO 400

私が気に入っている使い方は絞り開放で撮る近距離のポートレート。と言っても娘しか撮りませんが…バッチリ合焦した瞳を見て嬉しくなり、そこから発生する均質なボケが被写体を引き立てていることに気づきます。ついでにそこそこの画角と控えめなボケ量のおかげで、周囲の雰囲気も分かる。見た瞬間に「うわすごっ!」とはなりません。しかしじっくり見るとジワジワ良く感じてくる。これがGF50mmの密かな長所だと思います。

FUJIFILM GFX100S, GF50mm F3.5R WR, ƒ/3.5 1/450 50 mm ISO 200

FUJIFILM GFX100S, GF50mm F3.5R WR, ƒ/8 1/280 50 mm ISO 200

FUJIFILM GFX100S, GF50mm F3.5R WR, ƒ/3.5 1/1600 50 mm ISO 200

FUJIFILM GFX100S, GF50mm F3.5R WR, ƒ/5.6 1/500 50 mm ISO 160

寄れない寄れない言われていますが、寄れる設定だったGF35-70mmやX100F(フォーマット違いますが)、は最短付近の描写がユルイユルイソフトソフト言われてましたよね。私はレンズ設計者ではありませんが、今まで使ってきたレンズの傾向からして、シャープに寄れる明るい小さいレンズというのは色々現実的ではないことは想像出来ます。センサーが大きいとなれば尚更でしょう。

FUJIFILM GFX50R, GF50mm F3.5R WR, ƒ/3.5 1/1100 50 mm ISO 200

FUJIFILM GFX100S, GF50mm F3.5R WR, ƒ/3.5 1/40 50 mm ISO 500

各種レビュー

さて、いろいろ思いが強すぎて前半を思いの外長々書いてしまいました。後半はよくある評価項目を挙げて私の感想を書いていこうと思います。まず基本的にな部分を述べておこうと思いますが、全体的に優等生な特性で色のりや抜けは抜群です。こちらの写真は私がGF50mm初日に撮った(ハズ)ものですが、もろもろ綺麗に高水準でほっとした記憶があります。

FUJIFILM GFX50R, GF50mm F3.5R WR, ƒ/8 1/900 50 mm ISO 200

質感・サイズ感

質感はごくごく普通のGFレンズです。2年使ってちょっと絞りリングのトルク感が失われつつありますが、フジノンレンズの中では保っている方かと。GFレンズ最小とは言いつつも一般的には大きめレンズだと思うのでリングは回しやすいですね。前玉は小さいですが後ろ玉が大きくて眺めていると気分アガります。ボディと組み合わせた時のシルエットはGFX100S/50SⅡがカッコいいのでは無いかと。私はシルエットを崩さないためにCokinの極薄フィルターを使ってます。このフィルターはねじ切りが浅いので、フードは全く使っていません。今回載せた写真は全部フード無しで撮っています。

Apple iPhone 12 ƒ/1.6 1/60 4.2 mm ISO 160

FUJIFILM GFX100S, GF50mm F3.5R WR, ƒ/5.6 1/45 120 mm ISO 3200

FUJIFILM GFX100S, GF50mm F3.5R WR, ƒ/5.6 1/45 120 mm ISO 3200

解像

確か発売時の売り文句に「このコンパクトさで1億画素に対応!(意訳)」というのがあったと記憶しています。その謳い文句通りしっかり1億画素に対応している印象ですね。ただ、GF110mmやGF80mmの様な驚異的な解像ではありません。等倍で確認した時に滑らかさがちょっと劣っています。もしかしたら解像の問題では無くヌケの差なのかもしれません。等倍で確認しないと分からない様な差が影響するのか?と問われれば、この解像の差単体の影響は小さくても、そういった差の積み重ねで「凄み」に差は生まれる、と回答します。ですが先に書いた通り上手く使えればジワジワ嬉しくなる写真が撮れるのも確かです。何を撮るか、レンズに、ひいては写真に何を求めるか?でその辺の必要性は変わってくるでしょう。

FUJIFILM GFX50R, GF50mm F3.5R WR, ƒ/8 1/420 50 mm ISO 200

FUJIFILM GFX100S, GF50mm F3.5R WR, ƒ/8 1/140 50 mm ISO 200

FUJIFILM GFX100S, GF50mm F3.5R WR, ƒ/5.6 1/1700 50 mm ISO 200

FUJIFILM GFX100S, GF50mm F3.5R WR, ƒ/5.6 1/2500 50 mm ISO 200

ボケ

上にも書いた通り、このレンズの最も気に入っている点はボケです。シャープな解像部からスッと自然にボケることによってメインの被写体が自然に引き立つのです。中望遠の大口径レンズの様にドカンとしたボケではありませんが、日常が綺麗に浮き立つんですよね。50mmF3.5というスペックは絶妙では?と思っています。重箱の底を突けば、開放最短で撮影すると周辺が微かにグルっとしたり、円ボケがレモン型だったり、ボケの中に若干年輪があったり(非球面レンズ1枚分なので軽微)、完璧無敵ではありません。この辺は使用者の目的と好み次第だと思います。

FUJIFILM GFX100S, GF50mm F3.5R WR, ƒ/4 1/160 50 mm ISO 200

収差

このレンズでもっとも目立つ収差がシアン系の色収差。マゼンタ系は見かけていないと思います。絞っても完全には消えないので色収差が嫌いな方はパスした方が良いかと。あと自動補正されていますが歪曲収差もある気がします。Lightroomで写真を開いた直後、レンズプロファイルが適応されるまでの一瞬は樽型に歪んでいて、直後に綺麗に補正された絵が表示されるので。まぁ私はRAW現像する時に視界に入らなければ電子補正は肯定派(自分で手動補正するのはメンドイ)なので特に気にしてはいません。

FUJIFILM GFX100S, GF50mm F3.5R WR, ƒ/8 1/500 50 mm ISO 200

FUJIFILM GFX100S, GF50mm F3.5R WR, ƒ/4 1/220 50 mm ISO 200

FUJIFILM GFX100S, GF50mm F3.5R WR, ƒ/8 1/2900 50 mm ISO 400

AF

LMレンズなので速いです。GFレンズ内では最速ではないでしょうか。動く娘にAF-Cでしっかり追尾し、瞳認識でしっかり合焦します。AFでもMFでも、どちらの場合でも撮影者の習熟が必要ですよね。しかもおバカなAFだと使いこなしはMFより難しいこともあります。正直、GF80mmのAFで娘を撮るのはかなり難しく「純粋なMFレンズで撮った方が成功率は高いかも」と思っていました。しかしGF50mmは全くそんなことは感じません。素直にAF万歳!と思える性能です。X-E1やX-M1の頃からフジのデジカメを使ってきて、昔はAFに微塵も期待していなかったので、AFが賢く使い物になるのは感慨深いですね。技術者さんたちの努力に感謝です。

FUJIFILM GFX100S, GF50mm F3.5R WR, ƒ/3.5 1/1250 50 mm ISO 200

FUJIFILM GFX100S, GF50mm F3.5R WR, ƒ/5.6 1/800 50 mm ISO 100

総評

はい、以上がGF50mmを2年使って、思ったことのまとめでした。少しはこのレンズの魅力を表現出来ていれば良いのですが。先にも書いた通り、完璧無敵なレンズではありませんし価格も高いです。しかしこのレンズの有り様は色んなバランスを取った結果であり、使えば使うほどそのバランスの絶妙さが分かってくるんですね。そうすれば弱点も自然と納得でき、強みを活かすことも出来ます。それが気持ちいい。派手さは無いんですけどね。これが今までこのレンズを手放さずにいられた理由。皆さんも1本いかがですか?

FUJIFILM GFX100S, GF50mm F3.5R WR, ƒ/8 1/160 50 mm ISO 100

FUJIFILM GFX50R, GF50mm F3.5R WR, ƒ/8 1/4 50 mm ISO 200

FUJIFILM GFX100S, GF50mm F3.5R WR, ƒ/5.6 1/50 50 mm ISO 800

FUJIFILM GFX100S, GF50mm F3.5R WR, ƒ/5.6 1/320 50 mm ISO 250

FUJIFILM GFX100S, GF50mm F3.5R WR, ƒ/10 1/550 50 mm ISO 200

65:24 - 写真のオナヤミ -

もう2月も終わりですね。まだまだ寒い日があるものの、確実に季節は進んで冬も終わりに近づいています。春の迫った冬景色というのは物憂げに見えませんか?


今日の話と写真は無関係です。タイトルの内容は、定期的にやってくる「自分の写真はこのままでいいのか?」という焦りから発生する悩みについて。

前々からたまーに書いていますが私はスナップや人物写真が苦手です。撮るのはもちろん見る(感じとる)のは特にダメ。私は自分が「美しい」と感じるものを写真評価の軸とするのですが、そこから外れた(私のスィートスポットが狭い説)写真はどうにも分からず意味不明なのです。

「いいね!」「エモい!」と、もてはやされる写真も私の評価軸で選定すると「自分の撮った写真だったら即削除!」となる事が多く、ただし理性では「自分の感覚範囲外だから評価できないだけ」ということも分かっていて、そうすると焦ってしまうわけです。自分は写真の一部しか味わえていないのではないか?蚊帳の外なのではないか?といった感じで。ついでに人の撮った写真も貶したくはありません。みんな頑張って撮ってますからね。


悶々と考えてみると、私は他人に心の底から興味がなく感情移入できないのだな、という結論に至りました。例えば、「生活の雰囲気を感じる対象+流行りのフィルム/シネライクな表現」→ 生活の雰囲気は検知(感情移入)されないので単にフィルム/シネライクなだけの中身のない写真だ…となり、「海外で撮られた力強いポートレート with 技巧を凝らした写真表現」→ 人物からは何も感じないので、凝り過ぎ故に不気味なオーラの滲む写真…といった塩梅に感じます。食べ物で例えると「ソースは完璧なのにメインのステーキは無味乾燥なスポンジを食べてる気分」と言えば分かりやすいでしょうか。(分かりにくいか…)

ただし自分の感覚以外のところで「そんなはずはない!」とも分かるので、感覚とそれ以外で大幅な乖離が生まれて焦りに繋がるのです。この悩みの解決策は今のところ見つかっておらず、自分の中でもどうしようもないなぁと思っているのですが、せっかく色々考えたのでブログに書いてみた次第です。オチはありません。。。


ただ少し光明も見えています。最近よく渡辺さとるさんのYoutubeを視聴しているのですが、その中で「アンリ・カルティエ=ブレッソンの写真は構図が素晴らしい。要素の配置が完璧なんだ」という話をされていて、これは私のスナップ写真(with 人物)のやり方と似ているのですよね。

この辺の記事はそのアプローチが成功しているものです。

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100年近く前の、しかも非常に評価されている写真家と似たアプローチをしていたんだ!という気づきは(自惚かもしれませんが)非常に励みと自信になりました。おかげで無いものねだりはしょうがないので、自分のできる事で上達しようと思えています。何年撮り続けても写真の道のりは長いです。まぁそれが面白いのかもしれませんね。

my favorite cafe time.

お茶が好きです。お茶を飲むという行為が好きですし、喫茶店という空間も好きです。飲み物の種類も深くは拘りません。珈琲、紅茶、緑茶、ジュース、どれも美味しいですよね。お抹茶はちょっと敷居が高いですが…。喫茶店で友人やお店の方とお喋りするのは楽しいですし、じっくり本を読むのも悪くありません。スピーカーに拘っているお店で聞く音楽は他所では体験できない音です。(この文章を書いていると、だんだん「喫茶」という文字まで魅力的に思えてきました)


この話にオチは特になくて、喫茶店好きだけど何故かな?とつらつら考えていたら色々出てきた、というだけの話です。まー少し考えただけでこれだけ出てくるのですから相当お気に入りなんですねぇ。

もちろん、喫茶店で撮る写真も好きですよ。「撮る」行為も「撮った」写真のどちらも、です。

伊和神社の森で

宍粟市にある伊和神社にて。

今まで前を通過するたびに気になっていたものの、移動の中途半端な位置にあるおかげでご縁のなかった神社。龍野を起点として北上するので休憩場所にはちょっと近すぎるんですよね。今回はトイレ休憩のためにお向かいの道の駅へ立ち寄ったので、良い機会とばかりにお邪魔した次第です。

鎮守の森に踏み込むともう一気に別世界。国道の脇にあるにも関わらず非常に静かです。森も境内も広くとても「良い」雰囲気。なんと無く熊野本宮大社や出雲大社と似通った威厳を感じる場所でした。


まぁそんな場所でも、参拝を済ませご挨拶した後は撮影開始です。(No Photo!の掲示は無かったので本殿も撮らせていただきました)

花粉の季節なので杉の木に囲まれた空間は内心穏やかではありませんね…

冬の地味ーな緑とクラシックネガは相性いいと思ってます。(楽しい)

比較的暗めの空間だったので、光と影のコントラストを探しながら撮影しました。自分の好みを追いつつも神社の雰囲気を収めることができたと思います。また花粉のシーズンが終わったらお参りに行きたいですね。